[架空]盆休み

 団地という場処は人を迷わせる為に設計されてるんじゃないかと思うことがある。今日のような真夏日には尚更。
 一寸した散歩のつもりが陽光を照り返して無駄に白く光る箱型に囲まれた中を彷徨ってかれこれ30分。歩いたところで景色は変わらず。此処に生活する人々には特殊なアンテナか何かが埋め込まれていて、自分の家までのナヴィゲーションでもあるのではないかとさえ思えて来る。生来の方向音痴を差し引いても、こんな空間で毎日無事に帰宅できる脳の構造というのは理解の外。蜜蜂みたいに帰巣本能がプログラムされているに違い無い。巨大な巣箱の群れ。それとも擦れ違う人々の幾人かは僕のような迷い人なのだろうか。
 熱気に当てられながら当て処無くうろつくのにも流石に嫌気が差してきて、仕方なく来た道を戻ろうと振り返った時、
 「あれ?」
 聴き覚えのある声。手を振る、白い長袖。「……ソノエさん?」
 「やっぱり。シマくん、髪型変わったから違うかなーと思ったんだけど」
 「久し振りー、ソノエさんは変わんないね。そういえば家この辺だったっけ?」
 「うん、お盆だしね、ちょうど帰って来たとこ」
 「そっかあ、いや僕ちょうど道に迷っててさ、こっち行けば出られる?」
 「相変わらず散歩して迷ってんの?あっちに一寸行くと商店街あるよ。喫茶店とかあるし」
 「あ、じゃあ暇ならお茶でも付き合ってくれる?久し振りだし。流石に暑いしさ、涼みたいかな」

 「…覚えてたんだねえ」
 案内された喫茶店は商店街からは多少外れた場処にひっそりとあって、良く云えば穴場、悪く云えば寂れた小さな店だった。いかにも彼女が好きそうな店だ。自家製の蜂蜜が売りらしく、先刻の巣箱のイメージを思い出す。
 「え?何を?」
 「私のこと」
 真顔でそんなことを云われれば流石にやや面喰らう。思わず苦笑して
 「……それは忘れないでしょう。ってか僕そんな薄情に見える?」
 「ん…まあ薄情だよね」
 「いや…そういう容赦無い物云いは好きですけど」
 「というか、誰にでも優しいけど、距離置いてて…なんか傍観者っていうか。興味失ったら簡単に忘れちゃいそうな」
 ミントティーに蜂蜜をかき混ぜながら笑う僕に、ソノエさんはあくまで淡々と、責めるでもなく言葉を続ける。的確といえば的確な指摘に苦笑を浮かべたまま、一口啜る。一息つく。
 「でも『誰にでも優しく』はやっぱ無理かも、って。最近」
 もう一口飲んで、続ける。
 「実際自分そんなに優しくないしね、誰かにしっかり優しくしようと思ったら、その分他の誰かには冷たくなっちゃうし。みんなに優しくは、無理だよなって」
 「…ふうん」
 ソノエさんは息を吐くようにそう笑って、軽くからかうように訊いた。
 「シマくんカノジョでもできた?」
 「…あはは、まあそんなとこ」
 「ふー…やっぱり恋愛は人を変えるのかしら」
 今度は僕が「まあねー」と笑う。
 「ま、生きてればいろいろあるってことじゃないですかね」
 「生きてれば、ねー…」
 ソノエさんはオレンジティーの残りを飲み干して
 「生きてれば、変わってくものかな」
 溜息のように、云った。
 「まあ、そんなもんじゃない?」
 「まあ、そんなもんかねえ」
 なんとなく、2人で困ったように、諦めるように、笑った。

 「この道まっすぐ行けば大通りにでるから」
 結局団地の外れまで案内して貰った頃には日も傾いていて
 「ありがと。ごめんね、付き合わせちゃって。また今度連絡でもするよ」
 僕が云うと、ソノエさんは
 「…やっぱシマくん薄情だわ」
 くすくすと笑った。

 そういえば、ソノエさんは2年前に死んでいたのだ。
 思い出した時、もう其処には誰も居ない。蜜蜂が1匹、脇を掠めて巣箱へ帰っていく。